わたしたちの歩み、そしてこれから
イギリスで見たアーツ&クラフツ
田舎暮らしとものづくりに憧れ、家族で大阪から岡山に移住したのは1986年。
山の中にハンドメイドハウスを建てて住み始めました。
そして5年後の1991年から1年間を暮らしたイギリスでアーツ&クラフツ運動と出会ったのです。
イギリスでの主な滞在先は南西部デヴォン州トットナス(Totnes)。
私たちが住んでいたダーティントン(Dartington)という村は、ダゴールに感化された大富豪夫妻が1920年代から芸術と工芸を軸に村おこしをしたところです。
中世の貴族の館を中心に、芸術大学、環境研究所、アートセンター、クラフトショップなどが緑の中に点在する素晴らしい村でした。
アーティストや工芸家たちが協力してギルドをつくり、自前のギャラリーやショップをもつなど積極的に活動しており、生活の中に音楽やアート、クラフトが溶け込んでいました。
*当時からオルタナティブな街として、注目を浴びていましたが、私たちが帰国した1993年サティシュクマールのシューマッハカレッジが創設されたり、トランジションタウンの発祥の地としても有名になりました。(2019年補足)
運命的な校舎との出会い
こんな暮らし方をしたい。
その思いを形にしたのがアーツ&クラフツビレッジです。
この校舎に出会ったのは、イギリスから帰国して広い仕事場を探していた時。
「廃校になる小学校があって、貸してくれそうだ」
というので、夜すぐ見に行きました。
夜桜が満開の旭川から、曲がりくねった細い山道を登っていき
「本当にこの先に小学校なんてあるのかな」
と不安になったころ、突然、校庭の分だけポッカリと真っ暗な山に穴があいたようなきれいな星空が見え、桜の木が一本満開に咲き誇っていました。
耳にはザーザーという川の音、運命的といってもいいような印象的な出会いでした。
何キロにもわたる桜並木と豊かな水をたたえた旭川。
わらぶき屋根の残る静かな山里は、創作活動には素晴らしい環境です。
近年、住民の多くが出ていき、過疎となったこの村に、逆にイギリスで見たような自然と溶け合った美しい暮らしへの可能性を感じます。
アーツ&クラフツ運動とは?
『アーツ&クラフツ』とは聞き慣れない言葉ですが、文字どおり芸術と工芸のことで、今から100年以上前にイギリスで起こった運動です。
当時のイギリスでは世界に先駆けて起こった産業革命によって、機械工業が盛んになり、中世から続いてきた手仕事がだんだん隅に追いやられ、人々は農村から都市の工場へ労働者として働きにでていきました。
技術の進歩は、生活の物質的豊かさ、便利さとともに労働者の喜びを奪い、自然を破壊し、公害をもたらしました。
こうした流れに反して、生活に美と労働の喜びを求める人たちが、『手仕事の復権』を唱えて、アーツ&クラフツムーブメントという運動を起こしました。
美しい壁紙や家具のデザインで知られるウィリアム・モリスもその代表者のひとりです。
日本でも柳宗悦らによって民藝運動が起きましたが、この二つの運動には通じるものがあります。
2020年 新たな学び舎としての出発
1992年7月にアーツ&クラフツビレッジを開いてから27年が経ちました。
この間、手作りの家具工房、染織工房としての活動を細々と続けながら、自然農やパーマカルチャーなど、持続可能な暮らし方も探ってきました。
一緒に様々な活動をしながら、家具作りや染織を学んだ日本人のスタッフ、研修生たちは今、全国に広がって活動しています。
またここに滞在して作品を作った海外からのアーティストたちやボランティアで滞在した若者たちも様々な国から来て、国際的に活動しています。
僻地の学校として生まれてから51年、旧旭町立第2小学校の校舎は日本の田舎の小さな学校から、日本の手仕事を愛する人たちや世界の若者たちが集い、学び合う場所へと形は変わっても、『学び舎』としての役割をまだ果たしています。
アーツ&クラフツビレッジはこれから、工房としてだけでなく、手仕事を愛し、持続可能な暮らし方を模索し、新たな生き方を学ぶ場所として、新しい形に生まれ変わっていきます。
まず手始めに木工房と染織工房をシェア工房として活用していきます。
また校舎の空き部屋を利用し、アーティストインレジデンスとして、滞在型の国内外の作家の受け入れを行っていきます。
現在はその準備中です。(2020年4月始動予定)